デジタル版・書きたいとき日記

赤福大好きです。でも、自己紹介のときは卵が好きですと言うことの方が多いです。

マックに行った

この間、なにかのテレビ番組で好きなマックのハンバーガーランキングをやっていて、私はサムライマックもビックマックも照り焼きバーガー(名前あってる?)も食べたことがないと気がつきました。

私が食べるのは、だいたいいつもスパチキ、それから季節が来たらグラコロ。時々、フィレオフィッシュエビフィレオ

だけど、テレビの中の芸能人たちがあまりにも美味しそうに食べているから、ちょっと食べてみようかしら、とチャレンジャーな心地になって、最寄り駅の、自宅方面とは反対出口をわざわざ抜けて、高校時代に通い詰めていた地下のマックに行きました。

お客さんより店員さんのほうが人数が多く感じられて、それで少しドキドキしてしまったわたしは、うっかりちゃっかり、チキンフィレオを頼んでしまいました。

なんというミス!!!サムライマックとかビックマックとか、ボリューミーで食べ応えのある、とランキング内でインタビューにこたえた人が言っていた、ハンバーガーを食べるつもりで来ていたのに!

それでも、人生初のチキンフィレオ、甘いソースはポテトにもつけて食べました。美味しかった。けれど、マックのチキンはいつも食べているからそこまで新鮮味はなくて、少し残念な気持ちになりました。

地下のマックはびっくりするくらい空いていて、それは今日が土曜日の、しかもおやつより少し後くらいの夕方の時間帯だからかもしれませんが、わたしと、トレンチコートを着たまま食べているお姉さんと、ジャージ姿の地元の女子高校生(高校名が背中に大きく書いてあった)3人組と、眼鏡をかけているのに頭にはサングラスが乗っているおじさんしかいませんでした。声を出しているのは高校生の3人だけで、店内放送が何周も連続して流れていました。

人柄が伝わる文章を書ける人はすごい

とある人の個展に行きました。

全然知らない人で、でも有名な人らしかった。後輩に誘われて、ちゃっかりインスタもフォローして楽しみにしていたんだけど。

感想、正直、好みじゃなかった。

本人が気持ちよくなる感想以外載せるな、って今ツイッターで大盛り上がりしてるけれど、わたしは別にファンじゃないし、帰りの新幹線で泣いてないので、載せます。

やっぱり、文章にも好みっていうのはあって、それから、好んで読んでいる文体に書く文章も似てくるのだなと実感しました。

その人は固く、硬く、堅い文体で、日常の面白くておかしなことを書いているから、わたしはとても驚きました。ちぐはぐな感じ、それがまた面白いのかな。

漢字が多いな、というのが第一印象。その人は、三島由紀夫の愛読者らしく、書く文章も戦後の男性が書く文と令和の女性が書く文で、という違いはあるものの、なんだか、ああ三島由紀夫の文章が好きそうな人が書く文章だなあ、と納得しました。

「食べる」という言葉を「食事をとる」と表現しそうな感じ、男の人が書く文章みたいな、新聞紙に書いてある文章みたいな。

わたしは比較的雑食で、特別なお気に入りは作らずに読んでいたつもりだったけれど、やはりお気に入りの作家さんはいるもので。特に詩やエッサイやコピーなどは、内容ももちろんだけど、書き方の癖みたいなものに惹かれて好んでいることが多いと思う。

その個展はやっぱり、エッセイのようなポエムのような作品がほとんどだったから、私は内容よりも書き方に目が行ってしまい(見なけりゃ読めないからあたりまえだけど)、なんだかなあという結果に終わりました。

友人に、これらのことと、追加してその他の展示方法や開催場所や来客者の系統等を話していたら、「ぜんぜんハマってなくてオモロい」と言われたので、相当苦手なジャンルだったのだと思います。

人柄だね、とも言われました。正しく!

結局、人柄が言葉によって伝わり、それが好みか否かという問題であり、言葉そのものが好きとか嫌いとか、合ってるとか合ってないとか、そういうことじゃないんだよな、ということです。

まあでも、人柄を伝えられるほどの言葉を持ち合わせていて、さらにそれに好きとか嫌いとか苦手とか、そういった感情を相手に持たせることができる文章力ってすげえな〜、という最終的な感想です。

誘ってくれてありがたい。食わず嫌いせずに様々なものごとに触れることって、自然と視野が広がるから、人生を豊かにするためにも様々な事象に手を伸ばすことが大切なんだと思う。ミーハーな気持ちはいつまでも持ち合わせていたいね。

おわり

 

お母さんごっこ

幼馴染が結婚した

夏には子どもが産まれるらしい

その連絡は唐突だった。私のことをそのあだ名で呼ぶ人はほとんどいないから、変な気持ちになった。忘れていた、私のむかしの名前。

そのあだ名で呼ばれると、わたしの記憶は保育園生か小学校低学年に戻る。その時代の友人、先生、教室の床や壁や、水道の蛇口、ネットに入った固形石鹸、声変わりのしていない高く脳に響く声、レゴブロック(子ども向けの大きいほう)の触り心地。

幼い子どもの五感のまま、それらの記憶が保存されているから、その当時の友人が結婚や妊娠といったところで、私はまだどこかおままごとの延長であるような不安定な気持ちになった。

おめでとう、会いに行くね

産まれる前に一度、産まれた後にも会いたいな

おままごとをするのは久しぶりだった。親戚の子どもに付き合って与えられた役をはいはいと適当にやり過ごすのではなく、自らがその世界の真ん中になってどっぷりとその世界に浸るごっこ遊びだった。

女友達といつも言い合っていた、誰が一番はやく結婚するかな、とか、はやく子ども産んでよ〜、とか。それを永遠と続けていたかった。

つまりは、誰も結婚せず、誰も子どもを産まず、いつまでも自分たちが子どものまま、理想を語り合うだけでいたかった。

夢が現実になる瞬間は、怖い。それがどれだけ良いものであったとしても、期待や理想を超えるものであったとしても、やはり怖い。現実になってしまったら、もうその夢は見れない。次の夢を、例えば子どもにはこの習い事をさせたいとか、子育てが終わったらあれがしたいとか、そういう夢を見ることになる。子どもが産まれてしまったら、子どもを育ててしまったら、子どもを産み育てる夢はもう見れなくなってしまう。

でも、やっぱり嬉しいよ

彼女はその夢を見れなくなるけれど、私も彼女に夢の話ができなくなるけれど、自分の幸福よりも、他人に幸福をわけてもらったときのほうが、手放しで喜べるし、おめでとうと素直に言える。幸せと笑っている彼女が現実にいるなら、夢の話なんてしなくても充分だと思う。

三歳から今まで、彼女と関係を築けてこれてよかった

私は今、誰よりも嬉しい

いつも一生懸命で泣き虫だった私の幼馴染へ

おめでとう!

あなたの幸せをいつまでも祈っています

男友達

「男友達」と「男の友達」は違う、と江國香織が言って(書いて)いた。

男友達を定義づけるとしたら、男であり、友達であり、なおかつ「男の友達」ではない人々だ、と。

難しいと思えば、それはとてつもなく難しい話なのだろうけど、失礼ながら現在自分の周りに存在する男性を「男友達」か「男の友達」かで分けようとすると、意外とすんなり分かれるものだ。

そして、男友達は驚くほど少ない。LINEの友だちの中だったら三人しかいなかった。きっと連絡先を知らない男友達も存在するのだろうけれど、それはきっと幼いときの記憶の中に居る人たちで、いますぐに連絡を取れる状況にある男友達は三人だ。

その三人に共通するもの、それからその他の「男の友達」との違いは何か。

おそらくそこが理論的に説明することが難しい、感覚的、生理的なものなのだろう。

 

食べすぎ

月一くらいで食べ過ぎる日がある

ありえないくらい食べてしまう

で、夜になって後悔、太田胃酸を飲む

吐くことはしません、てかできません

もったいないし

今月はコロッケとウインナー

先月はいろんな種類のグミ

その前は覚えてないです

この苦しみは月が変わると忘れてしまうようですね

こんなに苦しいのに、翌月になると食べたくなっちゃうんですね

困りますね

ほんとうに苦しいです

食べ過ぎると乗り物酔いしたみたいに気持ち悪くなる

あと右と左のどっちを下にして横になったらいいか毎回忘れて調べてる気がする

どうして食べたくなっちゃうかなー

口に何か入れたいんだろうね

ガムじゃだめ、食感とか味が色々変わるものがいい

ほんと嫌になる

来月は豆腐とかヨーグルトとかフルーツとかならいいんだけどなー

ほんと嫌になっちゃう

何が原因?

知らない人

自分の脳内がお花畑で、すべての事象を肯定的に捉えているから、現実社会とのギャップが大きさに戸惑うことがある

今もそのギャップに直面している

わたしが選んだ友人、友人に選ばれたわたし、の関係の崩壊

そもそも友人は選んでつくるものじゃないけれど、学校という限られた世界の中での友だち作りには取捨選択が存在すると思う

わたしは、それぞれ気や話や趣味の合う友人を何人か選び、友人は友人の持つ基準があり、結果わたしが選ばれたのだと思う

思っていた人と違ったこと、というのはその人のことを知らないから起こるものであり、今回に関して、わたしは友人に対してかなり多くのことを知っているつもりでいた

けれど、起こった

思っていた人じゃなかった

わたしが友人のことを知らずに、過度に信頼し、期待し、愛したからこそ起こった問題

だから基本的にわたしが悪い

やりすぎた、重すぎたのだ

信頼のしすぎ、期待のしすぎ、愛しすぎ

何も知らないくせに

知らない人に気持ちを寄せるのはおかしな話だ

でも、それをしてしまった

知っているつもりでいた、知ったかぶりもしていた

だからだろうな

「思っていた人じゃなかった」は片思いから始まるもの、わたしが重すぎる気持ちを抱えていたからいけなかったんだと思います

まっすぐに生きたいね

秋冬春夏

春夏秋冬の順番ってなんで、春夏秋冬なんだろう

人によって違うと思う

わたしは秋生まれだから、わたしの人生は秋から始まってる

だから秋冬春夏、秋冬春夏だと思います

春に生まれて冬に死んだ人は、春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬……春夏秋冬でいいんです

でも、夏生まれでに夏に死んだ人は、夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬春……夏秋冬春夏だと思うんです

1.2.3.4.5.みたいなものじゃないじゃないですか、春夏秋冬はぐるぐる回るものだから、それを一言でなんというか全然出てこないけど、とにかく、順番を固定しているのはおかしいと思います

という話をバイトの先輩と後輩にしてもうまく伝わりませんでした、どう説明するのが正しいんだろう