デジタル版・書きたいとき日記

赤福大好きです。でも、自己紹介のときは卵が好きですと言うことの方が多いです。

ひとりひとりについて

写真詩集vol.2『ひとりひとり』がうちに届きまして。今、1つひとつ包み終えました。

こんなにも沢山わたしたちの趣味に付き合ってくれる友人、仲間等がいること、それから、わたしの個人的なヘンテコで脳内花畑みたいな趣味に付き合ってくれるもりこに感謝します。

『四日三晩』と『ひとりひとり』のどちらも読み返して、なんて拙い言葉選びなのだろうと感じました。わたしの脳内で咲いている花の種類が少なすぎる!せっかく脳内花畑女でいるのなら、多種多様の花を咲かせたいものです。言葉についての知識不足を痛感しました。

すべて合わせていくつになるかはちょっと分かりませんが、この言葉たちの中にも意味があるもの、その中でも深いものや浅いもの、意味のないもの、思い入れのあるもの、ないもの(というとちょっと違うけれど)、さまざまです。現実世界の誰かを思いうかべて書いたものもあれば、空想上の誰かを思って(なんか変態っぽい)書いたものもあります。

vol.2については、「愛について」「自分について」と2つのテーマを設けてもりこと作りました。なんでこの2つになったかは、なんとなく?というのが最も正しい気がしますが、写真は、ごまかしたりはぐらかしたりことが言葉と比べて比較的難しいもの(真実を写すと書いて"写真"と書くくらいですから)だと個人的には思っています。でももりこの写真は真実味がない気がしている。それが真実なのか、それともそうではないのかがわからない。そう思っているときに、もりこの投稿にあった言葉、

写真は真実を語らない

写真に真実は語らせない

ははーーーんと思いました(失礼)。カネコアヤノの『とがる』の歌詞みてえだな、とも思いました。かっけーーーー!!!!

こういう信念、かどうかは分からないけれど、思いがあるから、こういう写真になるのだろうなと。こればっかりはわたしの言葉では表現しきれないので、本人の写真を見てください。

で、話がだいぶ逸れてしまいましたが、そんなこんなで直接的すぎるテーマはダメね、となりまして。上野の雨降る公園で、ビールとハイボールを飲みながら、油そばイカ焼きや餃子を食べながら、この2つのテーマが決定したのです。

わたしとしては、どちらもそう悩むほどではありませんでした。が、どちらが愛についてなのか、どちらが自分についてなのか、それが全くわかりませんでした。

愛の中に自分がいるのか、自分が愛を抱えているのか、どっちがどっちか全くわからない。

そもそもこの言葉たち全てがわたしから発生したものだから、わたしの考えに基づいてうまれてきたものだから、全部、「自分について」だよね?と。大混乱。なので"愛"と書いてあるものに関してはとりあえず「愛について」の部門へ。それからこれは愛とはかけ離れてるよね〜というものは「自分について」へ。

正直、どっちがどっちでもいいやと思います。(テーマ決めたくせに!)

ほんとうに最後の最後まで趣味全開で周りを巻き込んでしまっていて申し訳ない気持ちもありますが、巻き込まれた方々、今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

p.s.

以前、「巻き込む」という動詞は人間に対して使うものではない。あまりにも酷い。という話をしたことを思い出しました。巻き込んでしまってほんとうにごめんなさい。

ひとりひとり

密かに作っている写真詩集、vol.2が出来上がりました!

『ひとりひとり』

これをつくるために、ブログを疎かにしていました。だって!ブログに書いたら!本に書くこと無くなるから!!!

本は前回のたしか倍のページ数となりましたが、やっぱり入りきらなかった言葉や写真がありますから、来月くらいに、スピンオフみたいな、エピソードゼロみたいな、なんていうの?そういうやつ。まあ、本編に入りきらなかったことを、TVerで配信中!みたいな感じでブログに書きたいです。

自分の書いたものを買ってくれる人がいること、すごく嬉しい、ありがとうございます。

これが大学生時代の恥ずかしエピソードとならないように、言葉に見合った大人になりたいです。

もうすぐ、お届けに参りますので!

みんなからの感想聞きたいです。めちゃくちゃ恥ずかしいけど!

では、よろしくお願いします!

 

エラボト

それはもう本当にあごが痛くて

顎というより奥歯というか

とにかく、歯を食いしばりすぎてる

最近は上の歯の下の歯の間に舌を噛ませてる

そうすると食いしばらなくなるから

それでもエラのあたりが緊張状態にある

ありえない

痛い、というか、きつい、

重い、違和感、かったるい

そんなかんじ

冬の朝

朝、起きる。

さっきまで見ていたはずの夢が思い出せない。眼鏡をかける。カーテンを開ける。トイレに行く。食事をする時間はない。

自転車を漕ぐ。赤信号を見つけたら曲がる。青信号になっている横断歩道しか渡らない。なるべく足を地につけないように。電車は時間通りにやってくる、良くも、悪くも。自転車は、電車とは違い自分次第で速くなる。時間との勝負だ。

国道1号線沿いを走る。脳内でカントリーロードが再生される、月島雫の歌声で。

カントリーロード この道ずっとゆけば あの街につづいてる気がする カントリーロード

わたしが生まれるずっと前、京都に住むおじさんが子どもだった母に言ったそうだ。「おじさんのとこに来たくなったら、この道まっすぐだからね。この道ずっと行ったら、おじさんの家に着くからね」

おじさんは元々はこっちの生まれだけど、京都の大学に進学してからはずっと京都に暮らしている。関西の方言を喋る、ちょっと気難しい雰囲気のあるおじさんだ。

おじさんのカントリーロード国道1号線なんだろうな、と思う。幼い母がおじさんのとこに行きたくなったらゆく道ではなく、おじさんがこの街に帰るための道なんだろうな。おじさんは、京都の街でカントリーロードを聴いたとき、国道1号線を思い浮かべるのだろうな。

国道1号線を外れて、駅までの道を走る。駐輪場に自転車を停めて、カゴに手袋もマフラーも耳当ても放り込む。今日は暖かくなると天気予報士が言っていた。と母が言っていた。

電車の座席にすわってお尻が温まったころ、起きた瞬間に忘れた夢を思い出した。わたしの好きな人が、わたしの好きな人と一緒に居る夢だった。わたしの家のダイニングに、わたしの好きな人たちが並んでいた。どうして2人は一緒にいるのだろう。

好きな人は沢山いるけれど、グループやコミュニティが違うから、彼らがわたしの目の前に一緒にいることなんて無い。でも時々そんな光景を見たくなって、わたしは意識的にこっちの好きな人とあっちの好きな人を同じ空間に居合わせるようにひと手間かける。

わたしを挟んで2人が話しているのを見ることがたまらなく楽しかった。少しぎこちなくて、でもなんとなく話や気が合っているような2人は新鮮で面白かった。大して変わらないくせにどっちといる時の自分でいようかと、自分自身のキャラが不安定になっていることを客観的にみて恥ずかしくて笑ってしまう。それが、幸せだった。

3人で仲良くなりたいとか、2人を仲良くさせたいとか、そういう気持ちは特に無いけれど、会うことのなかったはずのわたしの好きな人とわたしの好きな人をわたしが出会わせた、という特別な気持ちになることが好きだ。自己満すぎるだろ、って感じもするけど、人間関係なんて自己満足のかたまりだと思っているから全然へっちゃらです。

カルテットのすずめちゃんは、好きな人には好きな人がいて、その好きな人も私の好きな人で。と話していたなあ、と思い出す。わたしはどうなるだろう。

わたしの好きな人がわたしの好きな人を好きになったら、わたしはどうなるのだろう。

好きっていろいろな種類があるのは知っているけど、わたしはきっとそのたくさんの種類の好きをコンプリートできていないから、よく分からない。

ドキドキするような好き、安心感のある好き、楽しくてたまらない好き、涙が止まらないような好き。名前しか知らない、経験したことないような好きの種類たちもある。名前もつけられないような好きという感情もあるのだろうな。

でもわたしは、わたしの好きな人の好きな人がわたしの好きな人だったら、全部丸めて好きになるか全部丸めて嫌いになるか、そのどちらかだと思う。

いいんです。わたしには片思いでちょうど。いつか言ってみたいなあ。好きな人だらけの中で、恋愛できたら幸せだろうなあ。

乗り換えなきゃ。次に乗った電車では、もう何も考えずに眠ろう。

今日は暖かくなる。

2024年

かなり頑張らないといけないかもしれない

今年はいつもの冬より暖かいし、頑張ろうと思えば頑張れるような気がする

頑張らなくたって生活は進むし、今のままでも特に周りには迷惑かけてない(と思う)し、そもそも生活って頑張ってするものなのかとも考える

けど、今のままでここから一年過ごしていくのはあんまり良くないような気がしていて

これは本当に感覚的なものだから自分でもよくわからないけれど、とにかく何かを変えなきゃいけない

で、その何かっていうモノが新しい服を買ったり、靴を丁寧に扱ったりとかそういう身の回りのモノじゃなくて、生活の部分だと思う

新しく何かを付け加えるのも違うし、今あるものを減らすのも違う

ただ、何か身体や日常生活を変える必要があると思う

今までの自分にも自分の生活にも満足しているし、このままでいたいとも思う

例えば、早起きをする?ストレッチを欠かさずにする?

そういう自分のルーティンを変えるべきなのかな

それともね、この気持ちは一月だから起こるもので、あるあるだけど、そういう一瞬の気持ちかもしれない

むしろそんな気がする

でも、今年は就活あるし、学生最後だし、ちゃんと大人になってきたし

ふわふわとふらふらとするのはダメだってことは分かる

むずかしいなあ

 

気ままに就活してます

最近、もっぱら就職活動。
エントリーシートや履歴書のために作られたような言葉と触れている時間が長すぎて、エッセイや詩集やブログやSNS話し言葉で綴られた文字を読むとすごく落ち着く。
行きの電車も帰りも、ずっと家の中を思い浮かべている。ベージュと白のチェック模様のダイニングクロス、裸足でペタペタと歩くのが心地よい廊下、少し冷えた布団と枕の隣に座るいくつかの人形、太陽の光をたっぷりと浴びた黒い毛玉のような犬の背中。

今日はストッキングを履かないでインターンに出た。パンツスーツなのでバレないだろうという気持ちと、バレたところでという気持ちだった。

そもそも、わたしの足の甲はストッキング越しではなくそのまま見たほうが綺麗だと思う。つるんとした皮膚、日焼けやムラのない肌の色、うっすら浮かぶ血管さえも健康に生きている証に見える。堅苦しい服を纏っているわたしの唯一のファッションポイントだ。

少し小さめで踵の安定しない靴の中で光っているわたしの足の甲。

バレたところで

ハーモニカおじさん

駅前のちいさな公園は南東の角地にあります。

公園といっても遊具はひとつしかなく、広場みたいです。ひらいた空間を囲むように石のベンチがいくつか道路との境目に置いてあり、南西の角に公衆トイレがあります。

公園の東側の道路を挟んで向かいにラブホテルがあってその隣にうなぎ屋さんがあります。南側の向かいにちいさなビルがあって一階には(たぶん)スナックとネイルサロンが入っています。二階以上は分かりません。そのちいさなビルの隣に駐輪場があって、わたしはいつもその駐輪場に自転車を停めています。

公園のベンチにはいろいろな人が座ります。くたびれたウーバーイーツのリュックサックを持ったおじさんたちがリュックを枕にして寝ています。おそらく、そういうおじさんたちのコミュニティが形成されていて、彼らは仕事をすることよりも集まることにやりがいを感じていると思います。

塾サボったのか?みたいな高校生がひとりで座っていたこともありました。夕方と夜の間の時間だったので、わたしは勝手に、この子はサボったなと感じ取りました。罪悪感からなのか手のひらサイズの参考書を開いていました。

それからサラリーマン。たぶん家に帰ったら奥さんに家事のあれこれをやらされる(という言い方は良くない?)からかな、とこれもまた勝手に感じ取っています。早く帰っても嫌がられるのかな。だいたいみんな太ももの上に肘をつけた前のめりの姿勢でスマホをいじっています。鞄盗んでもバレないだろうなってくらいスマホに集中しています。

夜遅くになってくると酔っ払いがいますが、酔っ払いって身内だと面白いけど他人だと面白くないし、ジロジロみてたら何してくるか分からないのであまり観察はしません。彼らは公園の真ん中でふざけたり、公衆トイレに行ったり、ベンチで缶のお酒を飲んだり、おじさんや高校生やサラリーマンと違って公園のすべてを使います。占拠しているように、支配しているように、みんなを遠ざけます。だから私は彼らを面白いとは思えません。

運ぶものがない配達員や、塾をサボった高校生や、家に帰るのを躊躇うサラリーマンなど、行き場のない人たちの溜まり場にはときどき、ハーモニカおじさんが現れます。ハーモニカおじさんは行き場のない人たちとは違って、石のベンチには座りません。ハーモニカおじさんはいつも、公園にひとつしかない遊具の上でハーモニカを吹きます。何の曲なのかは全く分からないし、音も大きくないので、最初聴いた時は近くの居酒屋の音漏れかと思いました。だから公園の奥にある、あの名前のわからない変な形の遊具の上におじさんがいるのを見つけたとき、わたしはおじさんを幽霊か妖精かそういった類の何かだと思いました。もしくは、この出来事自体が夢か幻なのではないかと。ハーモニカおじさんは不定期だけれど、おじさんのことを忘れないうちに公園でハーモニカを吹きます。

歓楽街の端っこの駅近のちいさな公園は、誰よりも一番ハーモニカおじさんのことを受け入れているような気がしています。石のベンチに座る行き場のない人々は、ハーモニカおじさんのことを見向きもしません。それでもハーモニカおじさんは、彼らの名前のない時間に音楽をつけてくれます。この公園がここに存在する意味をハーモニカおじさんが与えてくれているようで、わたしはこの公園とハーモニカおじさんがずっとこのままの関係でいてほしいと思っています。