ブログを書くことはアウトプットのような気がします。
自分の考えや思いを言語化し、なんなら少しクスッとできるように調整しながら、文章構成を考える。
もっと気ままに書いてもいいだろうし、それこそが本来のブログなのだと思うけれど、わたしはブログを書くときに、すこし構えてしまう。
それはブログじゃなくても同じことで、だから、三日坊主だったり一週間坊主になるのだと思っています。
それでも書くからには、ましてや楽しみにしてくれている友人がいるからには、なにかその人が、あーおもしろって思ってくれるようなことを書きたい。面白くなくても、ただの暇つぶしでも、読んだ時間を後悔しないような、読んで良かったとは思わなくても、読まない方が良かったとは思わないものを書きたい。
これは自己満です。人に与えている、人に喜んでもらっている、を味わいたいだけの、わたしの自己満です。それに、付き合ってくれる友人を筆頭に読んでくださる人々に感謝しています。
そんなわけで、なんとなく書いているつもりでも、やはり書くこと自体がアウトプットなわけで、つまり、なにを言いたいかというと、わたしは今、インプットをしたいんです。
前回のブログに載せたように、わたしは読書が好きで、わたしの中では、読書こそがインプットの作業だと考えています。それは、勉強とか、世界を広げるとか、そういうことではなくて、なんとなくですけれど、インプットなんです。
もちろん辞典や図鑑を読むことは自分の知識に繋がるので、勉強なのかもしれませんが、漫画やエッセイや広告コピーやネットニュースもわたしのインプット作業に必要。そして、それらに関しては、よし読もう!と考える前に読んでいるんです。
そしてわたしは、アウトプットよりインプットの作業のほうが好き。だいたいの人がそうなのかな。わかりませんけど、インプットしている時間のほうが楽しい。自己中でいられるから。
そんなわけで、毎日アウトプットをするのは、難しいです。『熱狂的なファン』にも、まさか毎日更新するなんて、と言われました。まさかの一週間でした。
飽き性なので、と逃げるのはいつものことですが、そんな自分を変えたいとも特別思っていません。
最近読んだ小説に出てきたんです。
「充実した人間ほどブログを書かないのは、皮肉なことだ」
わたしの言葉たちは、あまりにもしょうもなくて、聞く人によっては、鼻で笑って反対の耳から抜けてくような、というよりふつうの人なら聞かないようなものばかりです。
だから、話す相手がすぐそばに居ないから、こうやってブログという、虚空に話して、誰が見て読んでいるのかもわからないような、誰か読んでくれてるかな〜なんて思うことで、自分のしょうもないを守っているのかもしれません。
わたしのしょうもないを、いつもそばで聞いて笑ってくれる人ができたとき、わたしはブログをやめるような気がします。
おわり
p.s.
ここまで読んで心配した人へ
安心して欲しい、病んでません