デジタル版・書きたいとき日記

赤福大好きです。でも、自己紹介のときは卵が好きですと言うことの方が多いです。

冬の朝

朝、起きる。

さっきまで見ていたはずの夢が思い出せない。眼鏡をかける。カーテンを開ける。トイレに行く。食事をする時間はない。

自転車を漕ぐ。赤信号を見つけたら曲がる。青信号になっている横断歩道しか渡らない。なるべく足を地につけないように。電車は時間通りにやってくる、良くも、悪くも。自転車は、電車とは違い自分次第で速くなる。時間との勝負だ。

国道1号線沿いを走る。脳内でカントリーロードが再生される、月島雫の歌声で。

カントリーロード この道ずっとゆけば あの街につづいてる気がする カントリーロード

わたしが生まれるずっと前、京都に住むおじさんが子どもだった母に言ったそうだ。「おじさんのとこに来たくなったら、この道まっすぐだからね。この道ずっと行ったら、おじさんの家に着くからね」

おじさんは元々はこっちの生まれだけど、京都の大学に進学してからはずっと京都に暮らしている。関西の方言を喋る、ちょっと気難しい雰囲気のあるおじさんだ。

おじさんのカントリーロード国道1号線なんだろうな、と思う。幼い母がおじさんのとこに行きたくなったらゆく道ではなく、おじさんがこの街に帰るための道なんだろうな。おじさんは、京都の街でカントリーロードを聴いたとき、国道1号線を思い浮かべるのだろうな。

国道1号線を外れて、駅までの道を走る。駐輪場に自転車を停めて、カゴに手袋もマフラーも耳当ても放り込む。今日は暖かくなると天気予報士が言っていた。と母が言っていた。

電車の座席にすわってお尻が温まったころ、起きた瞬間に忘れた夢を思い出した。わたしの好きな人が、わたしの好きな人と一緒に居る夢だった。わたしの家のダイニングに、わたしの好きな人たちが並んでいた。どうして2人は一緒にいるのだろう。

好きな人は沢山いるけれど、グループやコミュニティが違うから、彼らがわたしの目の前に一緒にいることなんて無い。でも時々そんな光景を見たくなって、わたしは意識的にこっちの好きな人とあっちの好きな人を同じ空間に居合わせるようにひと手間かける。

わたしを挟んで2人が話しているのを見ることがたまらなく楽しかった。少しぎこちなくて、でもなんとなく話や気が合っているような2人は新鮮で面白かった。大して変わらないくせにどっちといる時の自分でいようかと、自分自身のキャラが不安定になっていることを客観的にみて恥ずかしくて笑ってしまう。それが、幸せだった。

3人で仲良くなりたいとか、2人を仲良くさせたいとか、そういう気持ちは特に無いけれど、会うことのなかったはずのわたしの好きな人とわたしの好きな人をわたしが出会わせた、という特別な気持ちになることが好きだ。自己満すぎるだろ、って感じもするけど、人間関係なんて自己満足のかたまりだと思っているから全然へっちゃらです。

カルテットのすずめちゃんは、好きな人には好きな人がいて、その好きな人も私の好きな人で。と話していたなあ、と思い出す。わたしはどうなるだろう。

わたしの好きな人がわたしの好きな人を好きになったら、わたしはどうなるのだろう。

好きっていろいろな種類があるのは知っているけど、わたしはきっとそのたくさんの種類の好きをコンプリートできていないから、よく分からない。

ドキドキするような好き、安心感のある好き、楽しくてたまらない好き、涙が止まらないような好き。名前しか知らない、経験したことないような好きの種類たちもある。名前もつけられないような好きという感情もあるのだろうな。

でもわたしは、わたしの好きな人の好きな人がわたしの好きな人だったら、全部丸めて好きになるか全部丸めて嫌いになるか、そのどちらかだと思う。

いいんです。わたしには片思いでちょうど。いつか言ってみたいなあ。好きな人だらけの中で、恋愛できたら幸せだろうなあ。

乗り換えなきゃ。次に乗った電車では、もう何も考えずに眠ろう。

今日は暖かくなる。